『虚人たち』

虚人たち (中公文庫)

虚人たち (中公文庫)

実験的な小説は(長めの)短編で読むにはいいが、まともに長編で読むとなるとめんどくさい。『着想の技術』のほうに解説めいたものがあるそうだが、そっちのほうは読みたくないな。

Amazon.co.jp で「あわせて買いたい」指定の『虚航船団』は読みたいと思っています。

『蒼氓』1951年

蒼氓 (新潮文庫)

蒼氓 (新潮文庫)

  • これといった強力な主人公いないし、著者が特定の人物の肩を持っているような様子もなく、最初は変な感じだったが、読み終わったときの気持ちが爽快。
  • あえて言うと、好きな人が日本にいるままブラジルに移住していくお夏がゆる〜く物語の柱になっているようだ。このお夏って人はよくわからない。自分から男を好きになることがなくて、求められたら応じる従順さなんだってのはなんとなくわかるが、強姦(もどき?)の扱いをした男に心を寄せるとは。電波なのか、本当にそういうのが普通だった時代なのかがわからない。
  • 頭に虱が沸く話がグロい。不潔な人ってただでさえ苦手なのに、人に虫がウヨウヨ沸くなんて、耐えらません。昔には当たり前だった話だからしょうがないけど。
  • 日本人だって黒人を見下している。ブラジルの黒人についての描写を現代の感覚で読むと、何気ないふうにひどく失礼なことが書いてあって恥ずかしい。ただし、情報が乏しい状況ではこういう「本人が自覚できない非礼」ってよくあることだし、仕方のない面もある。だから、例えばイギリスで無知な人が黄色人種を見下しているからって、イギリス人の人種差別がけしからんと急に大問題に発展させてしまうのって、被害者妄想が強いと思うんですわ。無知から来る差別行為は馬鹿であることが罪な例に過ぎない。
  • この時代って、やたら言い訳垂れ流しの私小説が流行っていたそうだが(その筆頭が太宰治か)、そんな時代に第三者の視点でこういう作品を書けた石川先生は偉かった。

A Star Called Henry (イギリス 1999年)

A Star Called Henry

A Star Called Henry

  • 最初はアイルランドものにありがちな貧乏物語で、ああ、またですか、と思ったが、主人公の Henry が家族に置いてきぼりにされ、弟と生き延びていく話になったら、鑑賞に耐える話になった。
  • Henry は弟の Victor のことが大好きだったんだなあ、と思わせる描写が秀逸。弟が死んでも淡々と生き延びていく。まだ子供なのに、ここで泣き喚いたからって、誰かが慰めてくれるわけでもないし、ただの慰めなど役に立たないということを熟知している。弟の死に涙を流すシーンはないが、事あるごとに Victor のことを思い出す。「俺は悲しい!」なんてくどくど言わなくても、私の胸にジーンと来ます。
  • Henry は村上龍もビビるほどのいい男らしいが、それが小説の中で一人称で書かれているから興ざめだ。Henry は恐いもの知らずキャラだってのに、「俺の眼って青くてキレイでしょ?」とナルシスト趣味があるのはいかがなものか。
  • Henry は自分からとくに何もしなくても、女が次から次へと寄ってきてセックスしてくれる。まるで村上春樹(読んだことないけど)の小説から出てきたようなキャラだな。
  • これほど言い寄られてセックスしまくりなのに、妊娠騒動が一切ないのが不思議。
  • 初体験で(相手は短い間通った小学校の先生だった人)「同時にイった」って、本当ですか。
  • その相手としばらくして再開を果たし、後に結婚する。たびたびセックスシーンがあって、どうも避妊をしている様子がなく(カトリックなら避妊をしないのが正統派か)、もしかしたらこれは「Henry には子種がないと思え」という設定なのかと思ったら、物語の終盤で妻が妊娠した。どうなってんの?

http://books.guardian.co.uk/print/0,3858,3922176-99930,00.html

『アフリカの蹄』1992年(講談社文庫 1997年)

アフリカの蹄 (講談社文庫)

アフリカの蹄 (講談社文庫)

  • 勧善懲悪物語。私のアレルギー反応が出る。
  • 「白人の悪者が罪のない黒人を差別し、それに怒った日本人が正義感に燃えて差別された黒人を助ける話」なんて物語があってはならない、なんて言うつもりはないけど、それを書いたのが日本人だってところに薄ら寒さを感じてしまった。仮に「日本人の悪者が罪のない韓国人を差別し、それに怒ったアメリカ人が正義感に燃えて韓国人を助ける話」なんて物語をアメリカ人が書いて出版して、アメリカ人がそういうの読んで喜んでたら、やっぱり薄ら寒いんじゃないの?
  • 主人公の作田信とパメラという女性の間で発展する恋物語では、セックスシーンで避妊をしている様子がないなあ、と思っていたら、物語の終盤になってパメラが妊娠した。付き合い始めてすぐに妊娠してしまったら確かに話にならないのだけど、最初はちゃんと避妊していたのがだんだんおろそかになった、ってわけでもないんだよね。タイミングよすぎ。また、ろくに避妊していないのに、「日本に帰って、普通に結婚をして」なんてどこかで考えていたなんて、どういう思考回路なんだろう。しかも作田は医師なのに。理解不能

『白い宴』1976年

白い宴 (角川文庫 緑 307ー4)

白い宴 (角川文庫 緑 307ー4)

  • 全体的にはいいんだけど、新聞記者と看護婦の情事物語がウザっ。こんなものいらない。
  • 全体的にはいいんじゃない?と思えたのは、女心のピンボケ描写が少ないからだろう。
  • 最初は『小説・心臓移植』というタイトルで発表されたらしい。改題して文学的な響きを醸し出したかったのか。またもや古臭くてもったいぶったタイトルだ。

『海と毒薬』1958年

海と毒薬 (新潮文庫)

海と毒薬 (新潮文庫)

■テーマは「日本人とはいかなる人間か」
どこが?
献身的なドイツ人と人懐っこい表情をしたアメリカ人が出てきて比較の対象となる趣向なのだとしたら(きっとそうなんだよね)、ピンボケている。
テーマは「被験者が死んでしまうとわかりきっている生体実験に捕虜を使った、そしてその実験に参加した人たちは単なる異常者だったのか?」でしょ。このような事件が「日本人の手によって」起こったという事実は二次的な問題にすぎないんじゃないの?
ちらっと満州における日本人の態度について記述があったが、そこだけは「こういうことがあったのなら、中国で反日感情が起こるのもしょうがない」とは思えた。ただし、それって、例えばインドにおけるイギリス人の態度と根本的にどこが違うのか。
この作品を読む限り、日本人のどこが特殊だというのか、全く納得でなかった。
■「彼らは異常者だったのか」
なんか、読む前から「その当時の感覚で言えば、別に異常者じゃなかったんでしょ」と答が出ているような感じ。
■世間体を気にするみっともない日本人
「他人の目があるし、そうすると社会慣習的に罰せられてしまうから」ってのと「神様が見ているし、そんなことをしてしまったら天罰が下る」ってのって、どこがそんなに違うのか。
遠藤先生によると「神様が見ている」ってのと「良心の呵責」ってのが同じなんだって読めてしまうんだけど、私にしてみりゃ「他人の目」と「神様が見ている」ってのが「自分以外の誰か/何者かによって見られていることを意識し、善悪の基準が自分以外のところにある」っていう点で同類なんだな。なんで「他人の目」を恐れているとなんだか卑怯者扱いで、「神様に見られている」意識の人は高尚になるのか。
■助手の戸田
この人物は問題の「生体解剖事件」にかかわり、事件が深刻であることにさして恐怖を抱かない自分には納得しているようだが、「良心の呵責」を感じない感じない自分に疑問を感じている。そして、やや突拍子もなく、その「良心の呵責」なるものを渇望したりしてみる。
よく、昔のテレビドラマなんかで「お父さん!私を殴って!」と懇願する電波娘が出てきたものだよね、と懐かしくなった。
■その他寸評

  • 丸谷才一とか渡辺淳一みたいなスケベ親父の雰囲気がある。「ホステスと仲良く酒が飲めること」と「女を知ること」が同意語なのかと疑う。
  • 小説に出てくる人物がどいつもこいつもそろって(勝呂を除いて)意地悪で嫌なやつ。そういう人物像しか書けないのか。
  • 卑怯臭い人間に囲まれて唯一嫌われキャラでない勝呂が悶々とするという構成。
  • 勝呂は嫌われキャラではないとしても、不潔だから私は嫌だ。とりわけ、医者が不潔なのはやばいっしょ。

Orlando

わが主人公オーランドーは16世紀のイギリスに16歳の少年として登場し、17世紀には「男」から「女」に性転換、さらに生きつづけ、巻末の1928年において齢なお36歳である。「時」の限界と「性」の境界を超えて、多様な「読み」を誘発するメタバイオグラフィの傑作

Orlando (Wordsworth Classics)

Orlando (Wordsworth Classics)

(1ポンドと50ペンスの名作)
■日本語訳
ISBN:4480034293