『海と毒薬』1958年

海と毒薬 (新潮文庫)

海と毒薬 (新潮文庫)

■テーマは「日本人とはいかなる人間か」
どこが?
献身的なドイツ人と人懐っこい表情をしたアメリカ人が出てきて比較の対象となる趣向なのだとしたら(きっとそうなんだよね)、ピンボケている。
テーマは「被験者が死んでしまうとわかりきっている生体実験に捕虜を使った、そしてその実験に参加した人たちは単なる異常者だったのか?」でしょ。このような事件が「日本人の手によって」起こったという事実は二次的な問題にすぎないんじゃないの?
ちらっと満州における日本人の態度について記述があったが、そこだけは「こういうことがあったのなら、中国で反日感情が起こるのもしょうがない」とは思えた。ただし、それって、例えばインドにおけるイギリス人の態度と根本的にどこが違うのか。
この作品を読む限り、日本人のどこが特殊だというのか、全く納得でなかった。
■「彼らは異常者だったのか」
なんか、読む前から「その当時の感覚で言えば、別に異常者じゃなかったんでしょ」と答が出ているような感じ。
■世間体を気にするみっともない日本人
「他人の目があるし、そうすると社会慣習的に罰せられてしまうから」ってのと「神様が見ているし、そんなことをしてしまったら天罰が下る」ってのって、どこがそんなに違うのか。
遠藤先生によると「神様が見ている」ってのと「良心の呵責」ってのが同じなんだって読めてしまうんだけど、私にしてみりゃ「他人の目」と「神様が見ている」ってのが「自分以外の誰か/何者かによって見られていることを意識し、善悪の基準が自分以外のところにある」っていう点で同類なんだな。なんで「他人の目」を恐れているとなんだか卑怯者扱いで、「神様に見られている」意識の人は高尚になるのか。
■助手の戸田
この人物は問題の「生体解剖事件」にかかわり、事件が深刻であることにさして恐怖を抱かない自分には納得しているようだが、「良心の呵責」を感じない感じない自分に疑問を感じている。そして、やや突拍子もなく、その「良心の呵責」なるものを渇望したりしてみる。
よく、昔のテレビドラマなんかで「お父さん!私を殴って!」と懇願する電波娘が出てきたものだよね、と懐かしくなった。
■その他寸評

  • 丸谷才一とか渡辺淳一みたいなスケベ親父の雰囲気がある。「ホステスと仲良く酒が飲めること」と「女を知ること」が同意語なのかと疑う。
  • 小説に出てくる人物がどいつもこいつもそろって(勝呂を除いて)意地悪で嫌なやつ。そういう人物像しか書けないのか。
  • 卑怯臭い人間に囲まれて唯一嫌われキャラでない勝呂が悶々とするという構成。
  • 勝呂は嫌われキャラではないとしても、不潔だから私は嫌だ。とりわけ、医者が不潔なのはやばいっしょ。